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多羅倭人伝 :: プロローグ

  • posted by: uro
  • date: 2009/08/09 PM 1:46 (日)

 日本で南北朝の動乱が収束に向かい、北朝擁する室町幕府の主導で新しい時代がつくられようとしていた頃。ちょうど15世紀初め。隣りの朝鮮半島では朝鮮王朝第二代の定宗(チョンジョン)の治世。
 かの国の西岸。錦江(クムガン)が黄海(ファンへ)にそそぐ河口北側の港町、舒川(ソチョン)。
 ひとりの老人が、ある民家の前で立ち止まった。六十歳代半ばぐらいか。重そうな袋を、どっこらしょ、という掛け声と一緒に肩からおろし、その家の玄関先で汗を拭いた。
 まくりあげていた二の腕から肩にかけて、黒々とした渦巻き模様が見えた。入墨(いれずみ)のようだ。当時は「文身」と表現した。もともと入墨というのはただの装飾やファッションではない。ワニやサメ、ウミヘビなどから身を守るまじないだ。今もアジア海域に広く存在する。海辺に住む人々や海洋民の風習だ。
 その老人も、船乗りか、漁民か、海を生業(なりわい)の舞台とする人間らしい。
 浅黒く精悍な顔だち。頭巾をとると、額から頭頂部にかけてひろく禿げあがっている。頭までよく陽に焼けているほどだ。
 耳のわきや後頭部に残る髪は、白髪に赤茶けた毛も混じっている。
 壮年の男が応対に出てきた。
 老人は、まくりあげていた両腕の長袖を手の甲まで隠れるほどに着衣を整えてから、その家の主人らしい男に問うた。
 「李 穡(イ・セク)どのはご在宅かな?」
 「親父さまは四年ほど前に亡くなりましたが…」
 老人は驚きをあらわにして、「なんとッ! 亡くなられた…」
 「あなたさまは?」と、その家の人はけげんそうな表情で問うた。
 「これは失礼を。わたしは成一(ソン・イル)というものです。イ・セクどのの昔の友人、とでも申しましょうか。あなたは御子息かな?」
 訪問者は、その家の主人の表情のなかに、かつての盟友の面影を見たのだろうか。
 「ああ…どこか、イ・セクどのの若い頃に似ておられる」と言い、つづけた。「そうでしたか…では、お母上はいらっしゃいますか? ユン・スクヒさま、でしたかな」
 「母はおります。しばらくお待ちを」

 その家の応接間にて。
 先ほど訪問者に応対していた男。そしてその妻。二人とも三十代半ばくらいか。それに、老婦人と五~六歳ぐらいの男の子がいる。老婦人は、この家の主人の母親のようだ。
 「…そうでしたか。富山浦(プサンポ)からお越しで」この家の主人が言った。
 「よく訪ねてくださいました。きっと亡き夫も喜んでいると思います」老婦人もにこやかに笑った。
 「これはテグのリンゴです。どうぞ皆さんで」成一と名乗る老いた客人は、土産物を渡す。テグは洛東江(ナクトンガン)沿いの内陸の街で、今もリンゴの名産地だ。
 「さぞ重たかったでしょうに。ありがとうございます。遠慮なくいただきます」家の主人が礼を述べてから問うた。「あなたさまはテグのご出身なのですか?」
 「いえ。妻の、母方の実家がありまして…」と客人が応じる。
 「道中はいかがでしたか? 難儀ございませんでしたか?」と家の主人が尋ねた。
 「若いころから船乗りなので。多島海(タドヘ)は、庭みたいなものです」と客人が応じる。
 「ああ、海路で。道中は大丈夫でしたか?」と家の主人。
 「ちかごろは海賊も下火ですし」と客人。
 「なるほど。では、さっそく皆でいただこう」主人は隣にいる妻に言った。
 彼女はリンゴの入った籠を抱えて台所へ向かった。
 「かわいいお子さんですな」客人は、予期せぬ訪問者を前にして、所在無げにしている男の子を見て、その隣りにいる主人に言った。
 「私もプサンポに同じ年頃の孫がおりましてね」そして、子供のほうに再び目線を移してその子の年齢をたずねた。
 「英周(ヨンジュ)や。お客様にはどうするんだ? ごあいさつをするんだろ?」男の子が、客人の問いかけに少々戸惑っていると、主人が子供に促した。
 「ヨンジュです。…五つです」男の子ははにかみながら上目づかいで老人に向かって応じる。
 「これはこれは、ごていねいに。お名前の”ジュ”は漢字では”周”の字ですかな?」と客人が主人に問うた。
 主人はうなづいた。そして言った。「実は、昔、父が親しかったお方の御名の一字をいただきまして」
 「ひょっとして」と老人は膝を乗り出して。「それは鄭 夢周(チョン・モンジュ)どのでは?」
 「そのとおりです」と主人は応じ、意外そうな表情をした。
 「モンジュどのか…懐かしい御名じゃ…」と老人はつぶやくように言い、「あの方も惜しまれる。イ・セクどのとともに恭愍王(コンミンワン)さまによって世に出られた方じゃった」
 「あなたさまも、あの恭愍王(コンミンワン)さまにお仕えしていたのですか?」と主人がたずねた。
 「いやいや、私などは御座船(ござぶね)の舵師(かじし)にすぎません。ただ、二十年ほどおそばに仕えさせていただきましたから…まあ、恭愍王と言いましても、今や語るお人もありませんが、あなたのお父上や鄭夢周どのにとっては、かけがえのない恩人でございましたろう」と客人。
 「あの王様も、鄭夢周どの同様、まことに悲運なご最期でしたが…」この家の主人の母親、つまりイ・セク未亡人が昔を懐かしむようなまなざしになった。
 「ほんとだね。もっとこの世で評価されてもよいお人だったのに…」と主人。
 「時代、だったのです。比べるのは不謹慎かも知れませんが、イ・セクどのはあの激動のなかで天寿をまっとうされた」と客人は言った。
 「あの人もけっこう頑固者で。世が改まったというのに、新しい王朝政府からの再三のお召しにもいっこうに応じませんでした」と老婦人が言った。「晩年は義塾のようなものをこしらえて、ここらの子弟たちに学問を教えることだけが生きがいのようでした」
 義塾とは十四世紀、元代の中国で生まれた教育施設だった。”将来、国を担う有能な後進を育てたい”という志を持った資産家が自腹で同族や郷里の子弟を育てるための私塾だ。わが国でもその影響を受け、のちの”ナントカ義塾”という名称につながっている。
 「なるほど」と客人はうなづいて。「恭愍王さまのもとでは大司成にまで抜擢(ばってき)され、成均館(ソンギュンガン)を再建した功労者、とまで言われた人じゃったが…世間では、勝手に”失意の人”やら、”不遇の晩年”とか申しておりますが、ご本人はそれほど落ち込んではいなかったと?」と客人が問うた。
 成均館(ソンギュンガン)とは儒教大学のこと。高麗(コリョ)王朝直属の人材育成機関の役割を果たしていたようだ。
 「はい。あの頃は、私ども家族といっしょに過ごす時間などほとんどありませんでした。仕事一辺倒の人でしたから…」老婦人は訥々(とつとつ)と語った。
 「それを思えば、私などはかえって、心のどこかでうれしかったほどで。もともと家では仕事向きの話は一切しないひとでしたから。まあ、夫の不遇を喜ぶなどは、それこそ不謹慎な話ですが…」
 「いや。案外、ご本人も、せいせいしておられたのかも知れぬ」と客人は応じて、「あなたやご子息との時間が持ててよかった」
 「おかげさまで…」と老婦人。
 「世間で言うように、新しい王朝をひらかれた御仁も、御子たちの継承争いにはホトホト傷心のご様子じゃ。近頃は、心労が高じて病に伏せっておられる日々とか」と客人。
 「それは、お気の毒な…」と老婦人。
 「世間から見れば、かの御仁は勝ち組で、あなたさまの夫君は負け組かも知れぬ。しかしそれはあくまで世間の評価。人の一生は勝ち負けで割り切れるもんだろうか?」客人はそう言って、老婦人とその子息である主人を交互に見つめた。
 「そういう見方もございますか…」イ・セクの一人息子である主人は、そうつぶやき、目頭を熱くした。
 「たぶん、漢陽(ハニャン)の新しい都で臥せっておられる御仁も、今は同じ心境ではないかと思われます」と客人はつづけた。
 そのとき。台所へ立っていた嫁が戻ってきた。
 「さあ、皆でお客人のお土産をいただきましょう」彼女はそう言って、大皿を一堂が囲む机の前に置いた。皿の上には、皮をむいたばかりの新鮮なリンゴがてんこ盛りだ。
 「さっそくいただこう。ヨンジュも食べなさい」主人は息子に言いつつ、ひとつほおばった。「さすがに旨い。テグのリンゴは」
 「ところで」と客人は家の人々に問うた。「この地に住むようになったのはいつ頃ですか?」
 「亡き夫が引退してからですので、七年、八年、ほどになりましょうか…もともと主人の郷里ですし」と老婦人が応じた。
 「ああ、そうでしたか」と客人は相づちを打ち、「二十年ほど前、倭賊との錦江(クムガン)湾での海戦のときはどうでしたか? とばっちりなど受けませんでしたか?」
 「当時は都におりました…いや、もう今は都ではありませんね。開城(ケソン)は…」そう言って、老婦人は目を伏せた。
 「あの頃は、王都といえど安らかではありませんでしたな」と客人は言う。
 「まことに。思えば大変な時代を生きたものでした。昔話に聞く、かつてのモンゴル来寇のとき同様、亡国の民となるのか、とも覚悟したことも…」と老婦人。
 「あれも恭愍王(コンミンワン)さまの治世でしたな。モンゴルの官軍に追われた紅巾賊(こうきんぞく)の軍隊が侵入して、年末から翌年にかけて都を占領されたという。あの直後の開城(ケソン)はすっかり荒れ果ててしまったものでした」
 「そんなことが、ありましたか!…」と、主人が驚く。
 「あなた方のお生まれになる以前のことですからなあ」客人はイ・セク未亡人の息子夫婦を見て、「あのときは、あなた方のお父上も、王様をお守りして安東(アンドン)まで避難されました。かの地は北は山々、南は洛東江(ナクトンガン)という要害の地ですからね」
 「その後の王都奪還作戦で、今の太祖さまが歴史の表舞台に登場なされたのだと、私どもの世代も教わりました」と主人が応じる。
 「東北面の軍勢わずか二千余騎を率いて王都解放一番乗りの快挙、でしたな」と客人は語り、「しかも若干二十六歳。同年代の私としては驚きでした。なにしろ、その五年前の双城(サンソン)府奪還作戦に続く大金星じゃ。思えば、時代が生み、時代が求めた御仁ではあった。確かに…」
 「お客人」と主人はつづけた。「あなたご自身のことも、お話し願えませんか? 亡き父へのよい供養になると存じますが」
 客人と呼ばれた老人は、陽に焼けた顔に、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。が、自分の息子と同世代のこの家の主人の目を見てうなずいた。
 「そうですな…でも、私などには語ることなどありませぬのでご容赦を。そのかわり、と言っては何だが、あなたのお父上と妙な因縁があった人物の話でもして差し上げましょうか。倭人で、タラという男の話を。まあ、年寄りの昔話、とでも聞き流してくだされ」
 そう、老人はしわの刻まれた顔をほころばせて語りはじめた。
 「もう五十年近く前のことになります…」
 成一(ソン・イル)と名乗る老人の記憶は、半世紀前にさかのぼっていった。(つづく)

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