早田太郎(そうだ・たろう)は突然姿を消した在彦(ジェオン)のことをしばらく気にとめていた。当時の対馬(つしま)には多数の被虜人(ひりょにん)が奴婢(ぬひ)として働かされていた。しかし、太郎にとってはジェオンは命の恩人ともいえる。都や本土の連中から”海賊”と呼ばれ蔑(さげす)まれる立場であっても、彼はそういう心根を持ち合わせる側面があった。
「こうらい(高麗)へ逃げたか…いや、それは無理だろう。ならば、抜け目のない本土の人商人(ひとあきびと)に誑(たぶら)かされてどこかへ売り飛ばされていったか…まるで神隠しじゃ」
たまに、ジンベイにジェオンのことを問われると、早田太郎は独り言のようにそうつぶやいていた。
そのうち、”観音(かんのん)まいり”の時期がやってくると、早田太郎もジェオンの探索どころではなくなったようだ。
対馬には、古くから”観音まいり”とか”天神まいり”とか呼ばれる風習があった。男女がある場所に集まって互いに歌を掛け合い、気の合った者同士がその夜に”枕(まくら)を交わす”、つまり”いい仲になる”という粋な風習である。もともと東南アジアから東アジアまで広くみられる風習だ。わが国の関東では”歌垣(うたがき)”と呼ばれている。祭りの晩には同じような男女の出会いがプロデュースされていたらしい。このときばかりは身分や出自など関係なし。一年の憂さを晴らし合ったことだろう。身分の上下を問わず、とりわけ楽しみの少ない島のことである。若者たちにとって飲み食いの他といえば男女の仲ぐらいしか楽しみなどなかった。早田太郎もまた、そういう年頃になっていた。
ここは対馬島の北西部。一艘の小型船が佐護(さご)の浦をめざしていた。早田党(そうだとう)の本拠地である対馬中央部の浅茅湾(あそうわん)から外洋へ出て北上したあたりである。佐護(さご)の浦には”観音まいり”が行われる会場の一つがあった。その船は進行方向右手に見える岬を回り込もうとしていた。良港のそばには難所あり、で、その岬の付近にも、船上からはわかりずらい岩礁地帯があり、不注意な船や不案内な船がよく座礁することも。その船には何人かの若者が乗っていた。
「右前方に瀬枕(せまくら)! 」
船の舳先(へさき)に陣取るひとりの青年が大声を張り上げた。赤い眼帯をしている。
「承知! 」船を操っている舵取り(かじとり)や水夫(かこ)の男たちが神妙な表情で身構える。
”瀬枕(せまくら)”とは、激しい流れが隠れた岩などを越えて行くときにできる、海面が盛り上がる場所のことだ。海の民の間では、転じて、男女のセックスを意味した。
「俺も早く観音さま、おがみてえよお~」
難所を越えたあたりで、緊張感から解放されたように、若い水夫(かこ)のひとりが素っ頓狂な声を出す。
「それは、お前の喉と腕次第! 」舳先(へさき)にいる青年が、見えるほうの片目で上陸地を確かめながら応じた。
その船は塩焼き小屋からもうもうと立ちのぼる幾筋もの煙りを目印に港に入って行った。
「佐護(さご)の観音さま~ッ! 今年こそ、おいらにぴったりのおなごに巡り合わせておくれよ~ッ! 」
船を操っていたひとりの若い衆が船を杭に舫(もや)いながら叫んだ。その船に乗ってきた若者たちは隻眼(せきがん)の青年を先頭に、次々と桟橋(さんばし)に降り立った。十人ほどいる。
「そう言えば、お前、去年の祭りでは、どこやらの年増の後家(ごけ)さんにたっぷりと可愛がってもらったそうじゃなかか? 」若い衆のひとりが、先ほど叫んだ若者に冷やかすように言った。
「うるせえッつーの! 相手探してうろうろしてたらよう、誰が誰だかわかんないうちに手を引かれてよお。暗がりでよくわかんなかったんだよーッ! 」
「で? どうだったんだよ。肝心のあっちのほうは? 」別の若者が突っ込みを入れる。
「まあ、やることはやったさ。なにせ、おいらはあのときが初めてだったからさ。もう夢中だったさあ…」と照れることしきり。
「あはははは! それはよかったなあ。お前もやっと大人の男になったってことだ。おめでたい、おめでたい」と眼帯をした隻眼の青年がおどける。
近くの浜小屋の外では、少女たちが魚の天日干しをしている。漁師の娘らしい。たまたま彼らの話が耳に入ったのだろう。彼女たちはクスクスッと彼らのほうを見て笑った。
「よお。そこの娘っ子たちよ~! 。いっしょに行かへんか? 観音まいり」と若い衆のひとりが呼び掛けた。
「おいおい。あれは、まだ赤飯炊いてもらってないだろう…」隻眼の青年はニヤニヤしながら言った。
彼が言うように、その娘たちは観音まいりに参加するには、ちょっとまだ早い年ごろだった。だが、観音まいりとはなにか、何をする行事か、ということは知っているようだった。二人とも顔を真っ赤にして浜小屋のなかに隠れてしまったことからもうなづける。おそらくは、観音まいりを体験した姉か、近所の下世話なおばさん連中あたりからの耳学問でうすうす知ってはいるのだろう。
しばらくすると。少女たちと入れ替わりに、茹(ゆ)でダコのような形相のオヤジが戸を蹴破りそうな勢いで外に飛び出してきた。若い衆の一団は、何事か、と身構える。
「てめえら、娘たちに手え出しやがったらただでおかんぞッ!」そう一声怒鳴ると、そこらにころがっている貝殻を飛礫(つぶて)にして若い衆のほうに投げつけた。もちろん石ではないので、届くはずもない。単なる威嚇だ。
「無礼な! ここにおわすを誰と心得るッ! 」若い衆のひとりが言い返す。
「…止めとけ。野暮(やぼ)なマネは…それより先を急ごうぜ」隻眼の青年はその若者を押しとどめると、そう促した。
ここは、観音まいりが行われる会場。若者たちの一団がたどりついた。しかし周囲はただならぬ様子だ。島の各地から集まってきた若者たちがうめきながらあちらこちらに倒れている。動かない者もいる。
「何があった?! 」隻眼の青年は口のきけそうなひとりの若者を助け起こすと問いただした。
「…本土から来た…よそもんの侍どもがやってきて…おなごたちをさらって行って…」
「どっちに行った? 」と隻眼の青年が質(ただ)す。
「北のほうへ…」
「井口浜(いぐちはま)や! 油断野郎ども、行くぜ! 」隻眼の青年は、そう仲間たちに叫ぶや駈け出した。
浜へ出たあたり。対馬の若い衆は侍の一団に出くわした。島の娘たち数人を縛り上げて連行している。一団は、全員、腹巻(はらまき・軽装の鎧)などで武装している。れっきとした武士だ。二十数名はいる。対馬の若い衆の倍はいる。
浜辺には、幾艘かの小船が用意されていた。計画的な掠奪行為だとわかる。侍たちは、後ろから追ってきた若い衆に気付くと、そのうちの何人かが近寄ってきた。首領らしい男が一歩前へ出る。
「お前たちは島のモンか。用はない! 」隻眼の若者たちを睨(にら)みつけて一喝(いっかつ)した。
「こっちには用があるんじゃい! 」隻眼の青年が詰め寄る。
「シッシッ! どこかへ失せろ! 」侍たちが威嚇する。
「おなご目当てだろ? おなごが欲しかったら、島のしきたりに従ってもらおう」と隻眼の青年。
「島のしきたり、だとお? 」首領らしき男が言った。
「そうだ。おなごが欲しけりゃ、歌で勝負しな」と隻眼の青年。
「なんじゃ、それはあ? …」侍たちは小馬鹿にしたように応じる。
「力ずくや無理強いは野暮(やぼ)の骨頂! 歌の掛け合いで勝負する。それが観音まいりのしきたりじゃ」と隻眼の青年がたたみかける。
「歌の掛け合いだとお?…」「何がしきたりだ、くだらん! 」「娘どもは俺たちがいただく」「お前らは海に潜って魚でも獲ってろッ! 」「どこかへ失せろ! 海賊どもが」首領の後ろにいる侍たちもかわるがわる言い放った。
「こいつら、話にならん…」隻眼の青年は誰にともなくそうつぶやくと、傍らに干してある櫂(かい)を手にした。次の瞬間、何事か奇声を発するとジャンプ一番、手にした櫂を首領らしき男の脳天めがけて振り下ろした。
武装した侍に対して、隻眼の青年は丸腰。ハーフパンツ丈の猿股に青斑(あおはん)の着衣だ。漁師のせがれにしか見えない。隻眼の青年を甘く見たとしか思えなかった。
一撃をくらった侍は、どどっとその場に崩れ落ちるように卒倒した。そして動かなくなった。
一瞬、その場の空気が凍りついた。
「お…お前はあ! 」侍たちは逆上し、全員抜刀して対馬の若衆たちに襲いかかった。
隻眼の青年は、片目で仲間に目配せをすると、岩場のほうへ走った。
砂浜から岩場に走る対馬の若衆たち。隻眼の青年が何をしようとしているか、その意図を察しているように口元だけがニヤッと笑っている。断崖に沿って彼らは走る。どうやら岩場に侍たちをおびき出す魂胆らしい。その場所はやがて満ち潮で周りが陸から孤立するところだった。
「追い込んだぞッ! 」「下種(げす)どもめが、もう逃げ場はないぞッ! 」「斬り刻んで鱶(ふか)の餌にでもしてくれるわ! 」「覚悟せいッ! 海賊どもッ! 」侍たちは島の若い衆たちを追い詰めたと思い、勝ち誇ったように吠えた。”鱶(ふか)”とは今でいうサメのこと。
「ケッ! 俺らが海賊なら貴様らはなんじゃ。陸賊(りくぞく)めがッ! 」と隻眼の青年が挑発する。
「むう…下郎の分際で、言うな! 海賊ッ! 」と侍が吠える。
「丸腰のおなごしか相手にできんのかあ? ここまで来てみよ。臆病モン! 」と隻眼の青年。
「小僧ッ! 」「成敗(せいばい)してくれるッ! 」侍たちは罵って対峙する。しかし。侍たちはじぶんたちの足元が間もなく海に沈むことまで気が回らなかった。
「ゲッ! …」彼らがそれに気が付いたときは大波にさらわれていた。
「ぎえ~ッ! たっ、助けてくれ~ッ! 」「おぼれるぅぅぅ~! …」
複雑な潮の流れと緑の藻がこびりついて、ぬるぬるの岩場に足元をすくわれ、引潮にからだごともっていかれた。
対馬の若い衆もともに海中に投げ出されていたが、そこはそれ。海に生きる連中だ。まるでピクニックに出かけるように難所を泳ぎきって、再び島娘たちが拉致されている浜辺に舞い戻っていた。
このとき、隻眼の青年たちが助けた娘たちのなかにある娘がいた。対馬の若い衆たちに助けられたとき、ほかの娘たちがただただ怯(おび)えているばかりのなか、真っ先に隻眼の青年の前に来てお礼を言った。彼女は地元、佐護(さご)の生まれ。このあたりに詳しい彼女は、自分たちを救おうとして犯罪人となった隻眼の青年を何とか助けようと、古老に相談した。すると、古老はひと思案した後、こう言った。
「あの片目の若者を助けたいなら、しばらくお山の御堂(みどう)にこもらせるべし」
波にさらわれた侍たちのうち、運のいい数人が対馬北西部の浜辺にたどりついて救助された。首領格の男は頭蓋骨を割られて即死。十数名が行方知れず。海流にのまれておぼれ死んだか、この海域を住処にしているサメの餌食にでもなったか。
このときの騒動は、すぐさま対馬島主、宗澄茂(そう・すみしげ)のもとにも伝わった。対馬の若い衆たちと刃傷沙汰を起こした侍たちの正体がはっきりした。彼らのほとんどは旧・征西府(せいせいふ)が太宰府(だざいふ)失陥の後、幕府方の九州探題軍に追われて九州本土などから落ちのびてきた連中だった。連中は初めのうちこそ本土反抗を企ててはいた。だがこの頃になると、その野望も現実味が失せていた。彼らが同盟者として最も頼みとしていた肥後(ひご)の菊池党など九州の南朝勢は、今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)が率いる幕府勢に本拠地の隈部(わいふ)城、染土(そめつち)城を攻略されていた。しかも、彼らが担いでいた”征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)”・懐良(かねよし)親王はすでにこの世にない。後継者の良成(よしなり)親王と菊池武政の遺児・武朝らは南へ敗走していた。辺境の島へ落ちのびた残党に救援軍を派遣する余力などなかったろう。
連中は対馬を拠点にして再起を図るため、目と鼻の先の隣国・高麗(こうらい)に目を付けた。この頃、高麗王朝政府は、女真族の侵入や内政の混乱で国勢が衰えていた。戦(いくさ)のプロ集団である連中にとっては格好の標的だった。彼らは高麗内部の反乱勢力を装って沿岸部を中心に掠奪を繰り返していた。掠奪した高麗の人々を人商人(ひとあきびと)に売り飛ばす行為は、彼らの重要な資金源となっていたふしがある。高麗の民衆は連中を”倭奴(ウェノム)”と呼んで憎んだ。ところが、高麗のほうでも李 成桂(イ・ソンゲ)たち新興武人たちが台頭するに従ってそういった隣国への掠奪行為も思うようにいかなくなってきていた。
連中のなかには少弐(しょうに)氏に仕えていた武士もいた。少弐氏といえば、対馬島主の宗氏(そうし)にとっては、少し前まで主家でもあった。かつては宗氏は、筑前(ちくぜん)や肥前(ひぜん)の守護を兼任して権勢を誇った少弐氏の、対馬における代官にすぎなかったのだ。しかし今や時代の趨勢(すうせい)は変わった。北朝方の出先機関である九州探題、今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)を通じて対馬国守護となっており、京都の幕府に属していた。都の北朝や幕府と敵対する勢力が、いつまでも自分の領内に居座り続けていることに、宗氏は危機感を募らせていた。
「厄介なことよ…」と、ときの対馬島主、宗澄茂(そう・すみしげ)はぼやく。彼は、都の幕府からも、高麗国王からも、倭賊取り締まりを強く要請されており、最近では非常に微妙な立場にあったのだ。
当然のことながら、対馬に居座る南朝方の亡命政権は対馬島主・宗氏に抗議した。隻眼の青年の引き渡しを要求して圧力をかけてきた。
その圧力に対して澄茂(すみしげ)は、「早田太郎(そうだ・たろう)なる下手人は逃走中につき追跡を続行中である」と表明。一方、対馬水軍の構成員でもある早田党首脳部には「太郎は佐護(さご)の娘の機転で天神山に隠れておるらしい。佐護の住民たちは太郎に同情しておる。いずれほとぼりも冷めるであろう。それまで自重してくれ」とひそかに通報した。
天神山とは、対馬北部、佐護の奥地にある天道山(てんどうさん)のこと。この山に入山したら、たとえ罪人であろうと捕えられない、という島の掟(おきて)があるのだ。一種の”アジール”ではないか、と現代の研究者は説明している。
早田太郎(そうだ・たろう)は、天道山(てんどうさん)から佐護(さご)の浦の方角を望んでは、ひとりの娘のことを思い、心とからだを熱くしていた。港のそばにある塩焼き小屋は、山中からは見えるはずもないが、そこから立ち昇っているであろう煙りのなまめかしさを謡った流行り歌を人知れず口ずさんだ。
♪ 塩屋の煙よ おまえは 立ち姿さえ 愛嬌(しお)がましい…
「しお」は塩焼き小屋の「塩」と「愛嬌(しお)がましい」を掛(か)けた掛け言葉。煙が立ち昇る様子を年頃の娘のしなやかな姿態に見立てた、当時のラブソングだ。(つづく)


