女たちは畑に水を撒(ま)いているようだった。在彦(ジェオン)はじぶんの胸の鼓動が脈打つのがわかったほどどきどきした。娘のほうもジェオンに気が付いたようだ。手を振っているのが見えた。周りの女たちが囃し立てている。ジェオンは彼女たちがいる畑のほうへ走った。途中、深い砂浜に足をとられてこけた。全身砂まみれになりながら、彼女たちのところまで駆けた。
「いいねえ、若いって! 」
女たちのなかで年齢的に一番上らしい女が誰にともなく発した。周りの女たちがどっと沸いた。
紅一点ならぬ黒一点のジェオンは女たちに注目され、真っ赤な顔をして立ち尽くしている。そして、ようやく周りの女たちにぺこりと頭を下げ、覚えた日本語であいさつをした。
「そろそろ昼飯にしようかと言ってたところよ。あんたもいっしょにどう? ひるめし」先ほどの先輩格の女がジェオンに向かって言った。生きていれば彼の母親と同世代ぐらいだろうか。
ジェオンが、食事はいつも寺でします、と答えると、
「きづきの、すね法師さんとふたりきりじゃ色気もなにもないでしょ。いいから、たまにはいっしょに食べようよ。今日はあたしの当番よ。先に行って用意してるからね。あとからアカネちゃんといっしょに来るんだよ」と言い、
「それにしてもアツイねえ、今日は! 」そう言って、ほかの女たちを促してかなたに見える浜小屋に引き上げて行った。
ジェオンも、女たちに冷やかされていることぐらいは雰囲気でわかった。
「なにを育ててるの? 」ジェオンが畑を見てアカネに問うた。
「麻(あさ)よ。麻ってジェオンの国にもあるよね? 」とアカネは言い、自分の着ている作業着を引っ張ってみせた。
ジェオンが、高麗(こうらい)では麻は”マ”と呼んでいると応じた。
麻や桑(くわ)は砂丘の土壌でも育つ。糸を撚(よ)って服地にする繊維の原料となるのだ。浦々の女たちは海産物採りの合間に、よく栽培していたらしい。
浜小屋が見えてきた。三方を柴垣(しばがき)で囲んである。このあたりの浦衆のための共同の施設である。二人がなかに入ると、湯気と食欲を誘うにおいが立ち込めていた。中央にある囲炉裏(いろり)には大鍋がぐつぐつと煮えている。
「ほら、ふたりともつったってないで。こっちおいでよ」
さきほど、昼飯に誘ってくれた女が、二人分の場所をあけるよう、周りの女たちに指図した。囲炉裏(いろり)を真ん中に、数人が筵座(むしろざ)の上に円を描くように坐っている。ジェオンは顔が火照っていた。炊事の熱気のせいばかりではなかった。そう広くもないところに、女たちの熱気がむんむんしていた。みな、丈の短い作業着なので、横坐りになると太ももまであらわになっている。浦人の間ではふつうのいでたちだ。
ジェオンのちょうど真向かいにいる先輩格の女などは、暑いのか胸元を大胆にはだけている。豊かな乳房が何かの拍子に垣間見えてしまう。ジェオンとしては目のやり場もない。
見渡したところ、アカネがいちばん子供っぽく見えた。先輩格の女のほかはジェオンとそんなに年が離れていないようだが、彼から見ればみな成熟した大人の女に思えた。対馬(つしま)では、奴婢小屋(ぬひごや)も彦次郎老人の小屋も女気のないむさくるしさだった。これほど女ばかりのなかに身を置いた経験もない。ジェオンも異性を意識する年頃になっていた。
先輩格の女が鍋の蓋(ふた)をあけると、近くの籠(かご)のなかに置いてある黒いぱさぱさの板状のモノを手で揉みながら鍋のなかにぱらぱらと入れている。再び蓋をしてしばらくすると、
「さあ、できたよッ! 」彼女が元気な声を張り上げると、みなが順に大鍋から各自の椀(わん)に雑炊のようなものをよそった。
「アカネちゃん。その子にもあげな」先輩格の女がジェオンを指差しながらアカネに椀と匙(さじ)を手渡した。その女にすれば、ジェオンなどはまだ”子供”に見えるのだろう。アカネは、自分の分をよそぐ前に、ジェオンの分をよそってくれた。
「コマプスムニダ…だんだん…」ジェオンは高麗の言葉と出雲言葉でお礼の気持ちを言い、その椀を受け取った。
「この地に馴染んできたようだね」と先輩格の女が言った。ジェオンは女のほうを見て少しはにかみながらうなずいた。
周りの女たちが椀によそぎ終わると、さっそくみんなふうふうと食べ始めた。米や麦、いろんな雑穀を混ぜた雑炊のようだった。からだの芯からぽかぽか温まる。
ジェオンは、さきほど煮えた鍋に入れたモノの正体がわかった。乾燥させた海藻の一種だろうな、とは想像ができた。
「これは、メノハ」
ジェオンが匙(さじ)ですくって見ていると、隣りにいるアカネが教えてくれた。
「メノハ? …」とジェオン。
「ここらでは昔からそう言うんだよ」と先輩格の女が応じた。
今でいうワカメ雑炊である。ワカメは、日御崎(ひのみさき)あたりの岩礁地帯でよく採れる。板状に天日干しして保存しておく。使うときにはとろ火で炙(あぶ)ってから手で揉んだりしてご飯や雑炊に混ぜて食する。磯の香りが口のなかで広がる。醤(ひしお。現代の味噌)などで味を整えたりする。
「どうだい? …味のほうは」先輩格の女がジェオンに問うた。
ジェオンは日本語のすべては理解できていなかった。しかし、その場の雰囲気でそれを理解することができた。
「マシッソヨッ!旨い。おいしいです」ジェオンはそう言ってほほ笑んだ。
「素直でいいねえ。若い子は! 」と先輩格の女は言い、
「まあまあ、そうして隣り同士寄り添っていると似合いの若夫婦みたいだよお」
周りの女たちの間から黄色い歓声があがる。ジェオンは、隣りを垣間見るとアカネが赤面しているので、彼もその場の空気を察した。
「あら、サキさんだって、家に帰れば毎晩可愛がってる旦那様がいるでしょ」
ジェオンの隣りに座っていた女が冷やかし気味に言った。先輩格の女の名前は”サキ”というらしい。
「ああ…そんなころもあったね。何百年か前だけどッ! 」
サキと呼ばれた女はそう言っておどけると、豪快に笑い飛ばして、
「あんたも早く、こういうぴちぴちしたいい男をつかまえるんだねッ! 」
言われた女のほうもあっけらかんとしている。首をすくめて舌を出す。そして大声で笑った。アカネもいっしょになって笑っている。ジェオンはただ赤面しながらアカネの唇に見とれていた。
「お忌(い)み祭りが済んだら、いっそのこといっしょになれば? 」
サキが若い二人のほうを見て言った。
”お忌み祭り”とは、今日の出雲地域でいう神在祭り(かみありまつり)のこと。陰暦十月(今の十一月)ごろ、稲佐(いなさ)の浜で行われる神事(しんじ)だ。ここらで”龍蛇様(りゅうじゃさま)”と呼ばれるウミヘビを先頭に、海から八百万(やおよろず)の神々が上陸してくる、という設定で行われるものだ。
この祭りの時期は、出雲では強い北西の風が吹いて海が荒れる。ゆえに”お忌み荒れ(おいみあれ)”というそうだ。海岸に打ち上げられたりしたウミヘビの亡骸(なきがら)を神々の使者として”きづき大社”(のちの「出雲大社」)に奉納する。
サキの一言で座の雰囲気がいっそう盛り上がった。ジェオンとアカネは期せずして一躍その場の主役に祭り上げられてしまった。ジェオンは、サキに言われるまでもなく、アカネと夫婦になりたい、と思っていた。まずは祖雲(そうん)や吉兵衛(きちべえ)の了解を得たかった。だから、ジェオンはお忌み祭りが終わると、サキ夫婦に仲介をお願いした。
「サキさんは世話好きじゃからのう。まあ、めでたい話じゃ。八百万(やおよろず)の神々も祝うてくれることじゃろう」と祖雲(そうん)は言った。とっくにジェオンとアカネの仲は承知していたような口ぶりだった。
サキ夫婦が仲人で、祖雲(そうん)や吉兵衛(きちべえ)ら顔見知りの人々が集まって小じんまりした祝言(しゅうげん)が行われた。
祝言の後、ジェオンはアカネと連れだって祝言のお礼を兼ねて吉兵衛の住まいを訪れた。
老いたりといえども、吉兵衛はなかなか多忙だ。北九州や北陸との間をひんぱんに往来していた。祝言の後、高麗との交易に赴く商人を博多まで自ら送ってきたところだった。部下の船頭(ふなおさ)は、博多から対馬、壱岐(いき)を経て高麗に行ってきたという。その帰路、対馬、壱岐、博多を経由してようやく戻ってきたところだった。
「ご配下の船は道中、大丈夫でしたか? 」
ジェオンは対馬近海が賊の跋扈(ばっこ)する物騒な海域であることを身をもって知っていたので、久々に吉兵衛の元気そうな顔を見てほっとした。
「心配してくれてありがとう。しかし、海に危険はつきもの。まあ、天候には恵まれたが海賊に出くわしたそうじゃ」と吉兵衛は世間話でもするように告白した。海で賊に出くわすのは慣れっこになっているらしい。
「大事がなくてよかった」とジェオンは胸をなでおろす。
「対馬海賊衆らしい。上乗り(うわのり)の要求をしてきただけじゃよ。よくあること。あのあたりは連中の庭じゃ。連中と命のやり取りをしてもつまらんからの。銭で済ました、とゆうておった」
”上乗り(うわのり)”とは警護料および水先案内料のことで、海上豪族衆、つまり海賊たちの収入源の一つだった。連中にも一種の法律があった。ほかの海賊衆のシンボルマークをはためかせた一般商船には手を出すべからず、という不文律だ。
「どこまで、ですか? 」
「結局、博多まで」と吉兵衛が言って、「そういえば、その頭目がまだ若造じゃったそうな。歳はそなたといくつも違わんじゃろう。船長(ふなおさ)のいうには、対馬島主、宗伊賀守(そう・いがのかみ)配下(はいか)などと名乗りおったらしい。人をくったやつじゃったと。ハッハッハッ! 」
「その男は、隻眼(せきがん)ではありませんでしたか? 」とジェオンはたずねた。
「そこまではわからん。わしは直接会ったわけではないのでな」と吉兵衛は応じた。
ジェオンの記憶のかなたに、船槍(ふなやり)をかまえて舳先(へさき)に立つひとりの少年の姿がおぼろげに浮かんだ。(つづく)


