祖雲(そうん)が語るところによれば、この出雲(いずも)の地に上陸した高麗(コリョ)王朝からの使節の姓は金(キム)姓の文官と武官だったという。つまり、在彦(ジェオン)と同じ姓だ。
「ただのう…」と祖雲は話を続けた。「気の毒なことに、この地から京都に向かう途中、雲州のいずれの地で賊に出くわしたらしいのじゃ…。使節団は、幕府の将軍宛ての高麗国王の書状と方物(土産物)を持参していたはずなのじゃが、その方物を賊どもに奪われてしまったらしい」
祖雲が当時得た情報によると、使節団はその後、陸路で京都の嵯峨(さが)にある天竜寺に向かったという。
「その人たちはなんのためにこの国に来たのですか? 」とジェオンが問うた。
「賊の取り締まりを求めてのことじゃ」と祖雲がすぐさま応じた。
ジェオンにとっては他人事(ひとごと)には思えなかった。自分もまた、その一人なのだ。しかし、自分の生まれる二十年も前から”倭寇(わこう)”による拉致問題が国際問題になっていたとは…と彼は内心驚いた。
「しかしその頃、世の中は今以上に乱れておってのう…」祖雲は言う。
京の都に拠点をかまえた幕府とてまだ不安定。各地には動乱のなかで所領や主家を失くした武士たちが徒党を組んで乱暴狼藉の限りを尽くすようになった。海上では、船持ちの豪族たちが海賊となり、客船、貨物船の別なく襲撃し、世は多いに乱れた。
「そういう連中が海を渡ればどうなると思う? 」
祖雲はジェオンに問うた。
そこには、もっとも近いジェオンの母国、高麗(コリョ)がある。その高麗国も、内憂外患を抱えて苦しんでいた真っ最中だ。戦さのプロ集団である武士たちにとって、疲弊した隣国は分捕りし放題の楽土に見えたことだろう。
ジェオンは晋州(チンジュ)で掠致され、対馬(つしま)で奴婢(ぬひ)にされた。その自分の体験を思い起こしながら、その一部始終を祖雲に語った。
「やはりのう…ジェオンや。お前もつらい思いをしてきた一人よのう」
祖雲は目をふせた。「お前のことを聞いては、わしのことも話さねばなるまい…」
そして、祖雲はこの地に遁世(とんせい)することになったいきさつを語った。
祖雲は、かつて故郷であるこの地を離れた。仏僧となる修学のためであった。京の都へ行って比叡山(ひえいざん)にのぼった。彼は数ある僧房(そうぼう)のなかの、ある僧房に配属になった。彼は修学心に燃えていた。ちょうどその頃のジェオンと同じように。
ところが、当時の伝統仏教界は乱世の一当事者になっていた。房主も同法(どうぼう、仲間)も修学の志に欠けていた。人が寄りあえば、もっぱら兵法ばかりが語りあわれたという。
<僧侶というものは仏法を学ぶために修学に励むものではないのか? …>
祖雲の素朴な疑問はいつも一笑にふされた。かえって、周りの仲間からはそしりを受ける始末だった。
その頃の僧房には、ふだんから怪しげな風体の連中がさかんに出入りしていたという。そういう部外者やら、房(ぼう)の弟子たちと一緒になって、債権(さいけん)の取り立てや財産の差し押さえなど、悪徳金融業者のようなこともやっていたという。
ひとたび法螺貝(ほらがい)や鉦(かね)が鳴ると、それを合図に境内の庭も狭しと武装した僧たちが集められる。どの僧も覆面して人相を知られないようにしている。僧衣の下には腹巻鎧(はらまきよろい)を着込む。手には長刀(なぎなた)や太刀を持つ。
洛中のどこそこの武家屋敷とか、他宗の寺院に仏罰をくださん、とかわめいては、神木(しんぼく)や神輿(みこし)を担いで寄せ沙汰(ざた)をする。また、堂舎を城郭にして立てこもり、寺院本所の役人たちと刃傷沙汰に及ぶなどなどの行為は日常茶飯事だった。やっていることは当世”悪党(あくとう)”と呼ばれる連中と変わりなかったという。
「人というものは武器や武具を身に帯びると気が大きくなるらしい」と祖雲はジェオンに言った。
「あきらかに他人のものとわかっていても、世の中のものはすべて自分のものと思い込む。分捕りを正当化するためには、先に住んでいる人々も、異国の民も、みな鬼か物の怪(もののけ)扱いしてはばかることがないのじゃ」
祖雲がすべてのことに失望しているとき、手を差し伸べてくれたのが同郷の禅僧だったという。後に、”祖雲”という法名をくれた師となった人物だ。その人は、有名な寺で蔵主(ぞうす)にまでなった高僧だったらしい。
「ぞうす? …」ジェオンが問うた。
「蔵主(ぞうす)というのはのう。寺で大蔵経(だいぞうきょう)の管理をつかさどる役目のお人じゃ」と祖雲。
「だいぞうきょう? …」ジェオンがたずねる。
「これまでの仏の教え、そしてそれらをわかりやすく注釈した書をすべてまとめたものじゃ。これはたいへんなものじゃ」と祖雲。
ジェオンが関心のなさそうな表情をしているのを察して祖雲はさらに付け加えた。
「大蔵経はお前の母国の人々が作り上げたものじゃ」
「へえ。高麗(コリョ)の人たちが作ったんですか!? 」とジェオン。
「しかも、お前の国があの蒙古に侵略されているさなかに作り上げたものじゃ」と祖雲は続けて、
「その経版の数は幾つだと思う? 」
「千枚ぐらいですか? …」ジェオンは当て推量で応じた。
「いやいやケタが違う」と祖雲は答えて、「なんと八万一千二百五十八枚じゃ。ゆえに八万大蔵経と呼ばれておる。お前の国の先達たちは素晴らしい遺産を我らに残してくれたわけじゃ」
祖雲はその師匠からジェオンの母国、高麗(コリョ)の僧である義天(ウィチョン)や知訥(チヌル)という先達たちの話を教わった。そしてジェオンの母国に関心を持つようになったのだという。
「この国でもお前の国でも、外交文書は同じ漢文で書かれておる。筆談でやり取りできないこともない。しかし、それではおのずと限界がある。ナマの気持ちまでは伝えあえない」と祖雲は言った。
「これは、わしが、お前の国から来た使節殿とのやり取りで痛感したことじゃ。ジェオンや。その国のことを知るには、まずその国で話されておる言葉を学ぶことから始まる。だからわしはお前の国の言葉を学んだわけじゃ」
ジェオンはすっかり祖雲(そうん)の寺に居ついた。
といっても、出家(しゅっけ)して僧になったわけではない。祖雲の身の回りの手伝いとか寺男を兼ねた弟子のような存在だった。
ジェオンが母国で掠致(りゃくち)されてから六年余りが経とうとしていた。望郷の思いはいつも心にあった。だから彼は時間ができると、よく稲佐(いなさ)の浜に出かけた。よく晴れ渡った日には海原の水平線あたりをじっと見つめていたものだった。そのかなたには母国、高麗(コリョ)がある。対馬(つしま)からのように肉眼で見えるわけではないが。あの対馬もここからは遠い。対馬。テマド…彼にとってはいい記憶のあるところではない。そこから、謀(はかりごと)によって奴隷市場のある博多あたりへ転売される途中、乗せられた船が嵐に遭遇し、漂流の果てに出雲(いずも)の地にたどりついた。
またも奴婢(ぬひ)とされるのか、と思っていたら同じ倭人(わじん)とはいえ、倭賊とは異なる人々に巡り合った。母国、高麗や対馬にいた頃は、<倭人はすべて倭賊>だと思い込んでいた。しかしそうではなかった。祖雲や吉兵衛(きちべえ)、アカネのような人々もいることを知った。
しかも、運よく生きているだけではない。学問をしている。ジェオンは、もともと学問することに興味はあった。学問がしたかった。だが、当時の身分制度のなかで下層の家に生まれた境遇は自分ではどうにもならなかった。学問など無用の長物であり、無縁だった。あのまま母国で平穏に暮らしていたらどうだったろう? …とジェオンはよく考えた。おそらく父親の仕事の手伝いをして、やがて同じ生業(なりわい)をしていたろう。いや、それはそれで平穏な暮らしならそれもいい、と彼は思った。それが、漂流の果てのこの地で、師となる人と出会い、異国の言葉や儒学を学んでいる。
ジェオンは自ら望んでこの国へ渡ってきたわけではない。しかし、最近はこの新天地での暮らしをいとおしむようになってきていた。
浦長(うらおさ)、吉兵衛(きちべえ)の孫娘、アカネの存在が大きかった。彼女はジェオンの命の恩人というだけではなかった。近頃は夢にまで現れる。彼にとっては、おそらく異性を意識した初めての相手ではなかったろうか。いつしかジェオンはアカネに特別な思いを抱くようになっていた。
ある日の昼時のこと。ジェオンはいつものように稲佐(いなさ)の浜に近い浜に出かけた。
「アッ! …」ジェオンは何かを見つけて叫んでいた。その目線の先にはこじんまりした畑があった。浦の女たちの一団が作業の真っ最中だった。女たちの共同作業だろうか。ジェオンはそのなかからアカネを目ざとく見つけていた。(つづく)


