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あの頃のサミタラ :: 《9》

  • posted by: uro
  • date: 2010/03/28 AM12:01 (日)

 そこは、在彦(ジェオン)が流れついた浜辺からほど近いところにある寺だった。その僧形(そうぎょう)の人はそこの住持(じゅうじ)だった。法名を祖雲(そうん)といった。
 雲州、出雲(いずも)の国は島根半島の北西部にある。その北西の突端には日御崎(ひのみさき)があり、北ツ海(今の「日本海」)から打ち寄せる波の浸食によって絶壁が連なっている。
 目と鼻の先には経島(ふみしま)と名付けられた小島があり、ウミネコという海鳥の繁殖地として知られる。毎年二月から七月頃、鳴き声が猫そっくりの渡り鳥が新たな命をはぐくむ。日御崎(ひのみさき)を南のほうへ廻り込むと大社湾(たいしゃわん)がある。さらに南には稲佐(いなさ)の浜、薗(その)の長浜と呼ばれる浜辺が続いている。なだらかな海岸線が弧を描いている。荒々しい印象の日御崎(ひのみさき)のほうとは雰囲気が対照的だ。
 やがて、ジェオンは寺で暮らすようになった。
 住持(じゅうじ)の祖雲(そうん)に頼まれたわけではない。ジェオンにしてみれば、恩返しのつもりだったろう。境内(けいだい)の掃除から薪集め、炊事、風呂沸かしなど、いろいろな家事雑用に励んだ。
 近辺の浦衆から見れば、寺男にでもみえたことだろう。あくまで使用人であり、対馬(つしま)でのように奴婢(ぬひ)ではなかった。
 ジェオンにとっては、転売、海難事故、漂流の果てにたどりついた異郷の地。そこで意外にも懐かしい母国の言葉を解する人が身近にいるのだ。かの住持(じゅうじ)は、国の違いを越えて、隔てなくじぶんに接する態度に敬慕の念を持った。
 ジェオンがすっかり回復した頃。祖雲(そうん)に呼ばれて客間に入ると、見覚えのある頭巾(ずきん)の老人ともう一人、娘がいた。歳はジェオンと同じぐらいに見える。彼の視線はしぜんその娘に注がれた。
 彼女は、短めの小袖(こそで)を着て、その腰に帯を巻いていた。長い黒髪のもとどりを赤い布で結んで背中に垂らしている。
 「吉兵衛(きちべえ)どのと、その孫娘じゃ」
 祖雲(そうん)が、そう客を紹介した。
 <キチベエ? …倭人(わじん)の男の名前は”ベエ”の付く名前が多いのか? …>
 ジェオンがそんなことを思いながら戸惑っていると、祖雲(そうん)がジェオンと娘のほうを交互に見てから言った。
 「ジェオンや。この娘はお前の命の恩人じゃ」
 ジェオンはハッとした。あれは夢ではなかったのだ。どこかの砂浜で倒れているじぶんを誰かが心配そうにのぞき込んでいた光景が脳裏によみがえった。
 「カムサ…ハムニダ」ジェオンは思わず、ていねいな感謝の言葉を高麗(こうらい)の言葉で口に出した。この地で生まれ育った娘にはわからなかった。娘は戸惑い気味の表情できょとんとしている。
 祖雲(そうん)がそれを察して、日本語でその意味を娘に伝えた。彼女はぽっと顔を赤らめて、上目づかいにジェオンの目を見つめるばかりだ。
 ジェオン自身には思い出そうとしてもそのときの記憶があいまいだった。祖雲(そうん)の語るところによればこうだ。
 ジェオンは、このあたりの浦人(うらびと)が”稲佐(いなさ)の浜”と呼び習わしている浜辺で倒れていたという。そして、この娘に発見された。彼女はたまたまワカメの干し作業をしていた。その通報で駆け付けた人々によって祖雲(そうん)の寺に担ぎ込まれたのだという。
 頭巾(ずきん)をかぶった老人は彼女の祖父であり、このあたりの浦長(うらおさ)でもあった。
 ジェオンが倒れていたあたりの一帯には、船の残骸(ざんがい)と思われるものが散乱していた。その何日か前に、このあたりにも台風が襲来した。おそらくその際の暴風に巻き込まれた遭難者では…と彼女は思ったらしかった。何かうわごとをつぶやいていたが、異国の言葉だ。言葉の意味はわからないが風貌や身なりからして自分たちとそう違わない。もっとも身近な高麗(こうらい)からの漂流者だと思い、浦人(うらびと)のひとりを祖父のもとに使いにやらせ、その間に自らその場で介抱したのだった。
 彼女の祖父に当たる老人、吉兵衛(きちべえ)は若い頃、貨物船の船頭(ふなど)を長く務めていた人物だった。この辺りでは、土地の名前を冠して”きづきの吉兵衛”と親しまれていた。九州・博多や対馬、高麗国沿岸とを往来して、塩売りや行商人たちを運んでいた。そういう生業上、高麗の言葉は聞きなれてはいた。しかしあいさつ程度なら分かるが、込み入った話は出来なかった。
 さて、どうしたものか…と吉兵衛(きちべえ)は思案した。そして、ある寺の住持(じゅうじ)を思い出したのだ。
 「この少年が高麗人(こまびと)だと確信したとき、御坊(ごぼう)の顔が浮かびましてな」そう言って、頭巾(ずきん)の老人は柔和にほほ笑んだ。「昔のこととはいえ、かの国よりの使節の通事(つうじ)を務めたお方じゃ」
 「まあ、ほんとうにいにしえのこと、じゃのう。ワッハッハ! 」
 祖雲(そうん)はそう頭巾の老人に応じた。そして、吉兵衛(きちべえ)の語るところを高麗語に通訳してジェオンにも聞かせ、屈託なく笑い飛ばした。
 「実はのう。先日、寄合(よりあい)で聞いたのじゃが…」と吉兵衛(きちべえ)が急に悲しい表情になった。
 「孫娘が、この少年を浜で見つけた頃、追石鼻(おいせばな)のほうにも何体かの亡骸(なきがら)が打ち上げられておったそうな…」
 「追石鼻(おいせばな)のほうか。あそこまで流されてはのう…」祖雲(そうん)も首を横に振り、沈痛な面持ちになる。
 追石鼻(おいせばな)というのは日御崎(ひのみさき)のほうの岩礁地帯だ。
 「身元は分からぬが、そのまま放置しておくわけにもいかぬのでな」と吉兵衛(きちべえ)が気を取り直す。彼の話では、亡骸(なきがら)はすでに一か所に集められて荼毘(だび)にふされた。無縁墓地に埋葬される手はずになっているという。
 「見た者の話では、目も当てられぬありさまじゃったそうな。おそらく亡骸(なきがら)の多くが高麗人(こまびと)だと思われるが、どういうわけか、みな一様に頭は丸刈りじゃったとか」
 「む…。しかし、亡骸(なきがら)の多くが丸刈りの坊主頭とは? …」と祖雲(そうん)は首をひねる。そして、ジェオンの頭を見やってから口をつぐんだ。
 「そのことじゃ」と吉兵衛(きちべえ)が応じて、「対馬(つしま)あたりではのう。奴婢(ぬひ)にした異国人は頭髪を剃(そ)って、逃げだしてもそれとすぐ分かるようにするそうじゃ」
 最近では、ジェオンの頭髪もだいぶんと伸びてはきていたが、吉兵衛(きちべえ)の孫娘に浜で助けられたころは丸刈りに近かったろう。
 「心配するな。ここにおる限り大丈夫」
 ジェオンが不安そうな表情で彼らの話に耳を傾けていると、祖雲(そうん)がその気持ちを察したのか、高麗語でそう言った。
 「近頃は、九州探題(きゅうしゅうたんだい)が中心になって、わが国各地で奴婢(ぬひ)にされておる拉致被害者を買い集めては高麗(こうらい)へ送還するようになったと聴く」と吉兵衛(きちべえ)。
 「しかし、その一方では、相変わらず武士の館、荘園、寺社を問わず、賊が掠奪してきた異国の民を、それと知った上で人商人(ひとあきびと)から買い奴婢(ぬひ)として酷使しておる」と祖雲(そうん)。
 「まるで、鼬(いたち)ごっこじゃ」と吉兵衛(きちべえ)。
 彼ら二人は込み入った話になっていたが、ジェオンは頭巾(ずきん)の老人の隣りで所在なさ気にもじもじしている娘に見とれていた。
 吉兵衛(きちべえ)の話から、その娘の名前は”アカネ”ということを知った。

 寺の雑用仕事が一段落すると、ジェオンはよく近くの浜辺に行った。漂流してきた彼が浦長(うらおさ)、吉兵衛の孫娘、アカネに発見されたという場所だった。
 ジェオンが息を吹き返したとき、いちばん最初に聞いた、あの海鳥の姿はもう見当たらなかった。
 <たぶん、渡り鳥なんだろうな>と彼は思った。
 西のほうへ旅立っていくようだった。その方角には、彼の母国があるはずだ。
 <帰りたい…>
 ジェオンは海のかなたを見つめた。
 浜辺にしゃがみこんだ。波が寄せては返している。その潮が引いた砂地に、彼はその辺で拾った棒きれのような流木で何かを書いた。覚えたばかりの漢字一文字だった。
 ”茜”。砂地にはそう書かれていた。吉兵衛の孫娘の名前だ。
 「学び心は、あるようじゃのう」
 そう後ろから話しかけられた。ジェオンは驚いてしゃがんだまま振り向いた。そこには祖雲がほほ笑みながら覗き込んで立っていた。ジェオンはあわててその文字を棒きれで消した。顔を赤らめたまま、うつむいてしまった。
 浦長(うらおさ)の孫娘への、ジェオンの淡い恋心を知ってか知らずか、祖雲は高麗(こうらい)の言葉で語りかけた。
 「この国の言葉を、覚えてみる気はないか? 」
 この国の言葉を覚えれば、あの娘とも、じかにいろいろな話をすることができる。ジェオンはまず、そう思った。
 「お願いします。教えてください」
 ジェオンは立ち上がると、祖雲の目を見てこうべを垂れた。

 それから、ジェオンにとって祖雲(そうん)は学問の師匠(ししょう)ともなった。
 祖雲の語るところによれば、この出雲(いずも)という地とジェオンの母国、いや、”日本”とか”高麗(こうらい)”とかいう国ができるもっと以前から、朝鮮半島とは縁の深い間柄なのだという。
 古来と言わず、つい最近のことでいえば、と祖雲は語った。
 室町幕府が、その成立後、いちばん最初に迎えた異国からの正式な外交使節は、ほかでもない高麗からの使節だった。それは、ジェオンが生まれる前とはいえ、たかだか二十年前のことなのだ。
 しかも、祖雲という人物は、高麗王朝が、ときの室町幕府の、二代目の将軍である足利義詮(あしかが・よしあきら)に派遣した公式使節団と、この出雲の地で実際に交渉を持った経験があった。
 ジェオンにとっては、この国の言葉を習得するうえで、またとない師匠だと思えた。
 「あれはのう、わしがまだ若い頃じゃった…」と祖雲は語った。(つづく)